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我がロイヤルウエディングは来世へ持ち越し当確。そん時はみんな参列してくれよな(👈悟空)!

果たして何から”ゲット・アウト”するのか

平成から令和へのお代替わりまで、気付けばあと3日を残すばかり!なのですね。

この平成でやり残したこと、と問われ”んー?まだウエディングドレス着てないカナ…?”などと寝言カマしつつ、GW初日の本日。

目覚ましをかけずに目覚めると家族が『ちょうどDVD借りて来たんだけど、映画でもみるー?』とポテトチップス片手に。うっ…タンパク質ではない…と一瞬思うが即座に飲み物を作って映画鑑賞。

ゲット・アウト』これチョイスした家族グッジョブ。

なぜなら、少し前の全米公開直後からその噂を島国在住のわたしも知っていました。かの町山智浩さんのレビューも見ていて、あらすじを知ってはいたのですが…いやいやいや。

www.youtube.com映画を見ながら『ゲストを卑屈にさせるような扱いを受けた時点で侮辱!!アタシならここでトットと帰ぇーるわ(怒)!!』『つーかさ!お前はいーから早よウチ帰らんかい(怒)!!』画面に映る主人公の黒人男性にシャウトしまして、『んー、ここで帰っちゃったら映画になんないからさー』と家族から都度突っ込まれ続けました(笑)。

最後のシーンにはちょっとだけ救われました。きっと、あの話の流れだったら救いようのない終わり方になるだろうと確信に近い予感をしていたもので。あやうくテレビに向かって、食べてたチップス投げるところだったよ。

おそらく日本で暮らす大多数のひとたちは、この映画を単純に狂気の沙汰、とお思いになりましょう。わたしだってそうです。ですが、もしもアメリカのド田舎を訪れるのならば、悪意の有無いっさい関係なく、好奇の目はある意味デフォルトだと考えておいても決して言い過ぎではない…と個人的には思います。

そして当然この映画はフィクションであって、ここまでのサイコな事件はそうそう起こらないとしても(とは言え、あまりに理不尽すぎる理由で有色人種がたびたび命を奪われていますが…怒)、劇中に出て来るような自称・リベラルのひとたちがどれほどの”決して悪意はない”、”うっかりしていた”的な言動で差別をするのかと。

随分と昔、アメリカのド田舎へNBA大ファンの友人と旅行を敢行しました。理由は当時の大スターの故郷を訪問してみよう!という、時間と体力とが共に有り余りまくる若さゆえの旅路でありました(笑)。

ただでさえ若く見られるアジア人のわれわれ。場所柄もあり、素敵なダイナーに入るわけもなくガラガラのファミレスに入店。しばらくたってもオーダーをいっこうに取りに来ない。当時20代前半の我々、テーブルで手ぇあげっぱなし。

目が合っても窓側ど真ん中のテーブルには来ないウェイトレス。恣意的なものを感じ取ったわたしは、とうとう語気を強め『ヘイ!』と丸々とした体躯のイモお姉さんを呼び止めました。

すると、在米歴が長い友人から『呼びとめる時は”ヘイ”じゃだめなんだよ、”エクスキューズミー”ってきちんと言わないと”これだから有色人種は…”って蔑まれてしまうシーンもあるんだよ』と優しくたしなめられたのです。

そりゃあもうびっくり仰天。”オーダー取りに来ないあのブーちゃんがいけないんじゃない?”、”たかがIHOPで一体どこまでへりくだらなくちゃいけないんだよ!”たいそう血の気の多いお年頃でしたもので(笑)、『つーかあっちの白人年寄り夫婦よりも全然うちらの方が早く呼んでるじゃん?!ガラガラの店内で!なめちゃってんのマジで!?』とおおいに激高したものです(もちろん日本語で!笑)。

お会計の際は、チップなんてビタ一文渡さなかったっすよ。断固拒否。こんな時ばかりは”チップ制度…?あぁ知りませーん、観光客ですんでウッカリしてたー♡”とばかりに無言のやり返しをカマした東洋女。当時在米の友人も、店を出てからそれを知り驚愕。

そのあと旅の道中は、ラッキーな事に楽しいことだらけ。不快なできごとは他にいっさい起こらなかったのですが、このエピソードは実体験として、未だにわたしの根底にあります。

謎のアジア人若者旅行者にご親切にしてくれたひとたちも沢山出会って、とても良い思い出ばかりの旅ができたのでした。で、白人ときたらケネディ家ばりのやんごとなきワスプやら、時代遅れのKKK的なレイシストなわけでもなく、いっぽう黒人イコール、プロスポーツのスターとかギャングスタラッパーでも、はたまたこの映画に出て来るような使用人ではないことも当然のことながら知っています。

そして”なんつーダブルスタンダードのお国よ…”とたかだか数日間旅行で滞在しただけの、かの地を思い続けているわけです。

…ひとは理不尽な扱いを連続で受けてしまうと、文句を言う面倒を起こしたくないあまり、たとえサービスを受ける側であろうと妙にバカッ丁寧になってしまうか、逆にちょっとした事でもつい過剰反応から攻撃的になってしまうものだなぁ…とわたしはそれからずっと考えさせられています。

”自分と違う”とみなした他人を攻撃することでパッとしない己に安心するようなヤカラ、残念ながらどこにでも少なからずいますね。彼らは総じてルックス・キャラ・そして人生そのものがトータルしてイケてないのが皮肉なところ。そんな思考回路だからパッとしねーんだよ、と個人的にはかねがね思いますが、各種ハラスの芽を摘むことはできてもハラス自体はきっと根絶しないでしょう。

もしも理不尽な目に遭った時、卑屈にならず、かといってアウトレイジャスにキレまくった言い返しにもならず、ウィットに富んだ切り返しが上手できればいいのになぁ、と映画を観つつ柄にもなく思いました(ええ、完全に後者と化しがちなタイプなもので…)。

だけど、”見た目が気に入らないから”ってことだけでも”はぁ?”って感じの、驚愕!な理由であるのに”肌の色が嫌いだから”って赤の他人に難癖つけたり、あげく暴力まで振るうような思考回路…。謎…。この映画には、それらに対する暗喩も各所にちりばめられていて、観た後でそれらを知るのもまた一興です。

いつも元気!笑顔!陽気!みたいなイメージのダブルスタンダードのお国における陰の歴史はいつの時代もまっ黒黒、まさしく黒歴史でありましょう。その手の差別主義者が何よりも忌み嫌うお色の比喩だってところも、これまた皮肉なことでございますわね。