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我がロイヤルウエディングは来世へ持ち越し当確。そん時はみんな参列してくれよな(👈悟空)!

先生そして師とは自分が決めること

人生とは旅である。誰が最初に言い出したのか、しばしば喩えられるフレーズのひとつです。

今年も卒業シーズンになりました。残念ながらわたしは卒業式で涙したことがなく、解放感により『この後どこか寄ってくー?!』とか浮かれていた人間。よって、社会人になってからも自分には落ち度がない事がわかってから”あ、ここあかんわ”と気づくやいなや見切り千両、損切り万両リスクヘッジは早め早めでいこうと思うような旅人タイプになりました。

そんな人間が学校の卒業式で思うのは、先生と称すべき人間は自分自身が決めるってことでひとつよろしくね、ということ。

お名前の後に”先生”と称される方々に何人、何十人と出会いましたが、先生と今でも敬意を表してお呼びしたくなるようなひとが果たして何人いらっしゃるでしょう。

わたしの場合は片手で数えらえるほどしかいません。その中で共通しているのは、当時のわたしを子供扱いせず、ひとりの対等な人間として扱ってくれて、決して教師だからではなく1人の人生の先輩として接してくれたこと。それと、いわゆる組織としての枠に入れようと強制しなかったこと。悪いところやできないところではなく、良いと思ってくれた小さなところにフォーカスしてくれたこと。

教員だって人間だ、と言われればそこまで。だけれど、だからこそ、特に小さな子供相手の職業なのだと肝に銘じて頂きたいもの。まだ視野が狭く、世の中は学校と家しかないと信じていて、とても柔らかで傷つきやすい心を持っているのが子供だと思います。

彼らが親以外で密に接する大人は先生と呼ばれるひとたちが主です。その先生が心ないひとことで心を傷つけることだって往々にしてある。わたしは小学生の時に担任の教師に言われた事、された事を未だに覚えています(あ、執念深い蠍座ね♡あしからず)。

その頃は子供だったので言い返す術や語彙を持ちえなかったことが悔やまれます。今だったら余裕でやり返せるのになー…って当たり前か(※蠍座ってことでよしなに!笑)。

子供だってバカじゃない。目の前にいる人間がどんなムードなのかだってある程度はわかるはずだし、恣意的に何か悪意に近い感情を向けてくるおとなの事は気付くと思う。でも傷ついてから気付かされることだって多い。

大人になってから”あんなばかげた話!”って笑い話にできるけれど、そういう気持ちをずっと昇華できなかったり、素直にひとを信じられなかったりと大人になっても結構なトラウマになってしまうひとだって決して少なくないはず。そういう自分より若いひとたちには、自分がそういう人間にならないように心がけるだけで昇華できるんだよ、と伝えたいものです。

…話は飛びますが、社会人になってから”先生”と称される資格を持つ同僚が部署にいました。わたしは何の気なしに”〇〇先生”とお呼びしていたところ、どうやらその先生は上にヘイコラ弱く下にゃー強い…という、典型的なまるでダメ夫なヤツだったことが露呈。

そのダメ人間な先生から連日かなりの仕事面の被害を被っていた若者男子が、わたしの席に来るやいなや『あんなヤツに先生呼ばわりしなくていーから!』『あいつが(某難関国家)資格があるなら、僕でも今すぐなれますから!』と怒り混じりで訴えに来て、面舵いっぱいで急遽呼び方を変更…という、今となっては笑ってしまうようなエピソードもございましたっけ(笑)。

仕事や勉強だけでなく、たとえ趣味や人間関係などなど、何事においても誠心誠意に勝るものはないのですよ。その中で人生の師と呼べるようなひとに果たして何人出会えるかで、おのずと人生の豊かさも比例してくるのでしょう。敬う相手は何も年上とは限りません。年下の上司かもしれないし、同年代の趣味を同じくする友達かもしれないのです。虚勢や見栄など張らず、誠実に明るく楽しく暮らしていきたいものですね。ご卒業おめでとうございます←ただコレ言いたかっただけな件ね\(^o^)/大爆笑