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我がロイヤルウエディングは来世へ持ち越し当確。そん時はみんな参列してくれよな(👈悟空)!

ユナイト・オア・ディストピア

もうとっくに後者なんじゃないかね…と思わざるをえないような近頃の北米大陸のご様子でしたが、ここ数週間はヒートアップ具合も尋常じゃなかったですね。わが周囲でも、わたし同様にかの地には何のご縁もないひとたちをして、雑談(っつーか完全なるヨタ話♡)中の電話口で『一体どうなると思う?!』『アツすぎ!』はたまた『ご飯の予定立てるのは大統領選の後にして!』(!)なーんて話題に上がりまくっておりましたもの。そもそもあれだけ多くの国民がいる中から選ばれた候補があのお二方、という驚きよ。

どんな事柄にも思惑と、市井の民には知りえることのない裏の裏(あ、それって表になりますか)っていうのが存在するのは歴史を辿ってみたって明白なのでしょう。…が、自ら一票を投じられるっていう制度は、自分もそこに参加している!感が得られてなかなか良さそうですね。そりゃあAリストセレブリティも自分が支持している候補をガチで打ち出して、投票しよう!と繰り返し訴えてくるのも納得しますわ。

選挙人制度??激戦区??それらはかの地の住民ではないわたしには四年に一度、いささか複雑怪奇に感じられるのです。そのあたりをもうちょい単純にできるのならば、やれ不正がどうしたこうしたっていう疑惑騒ぎも起きづらくなるのでは…とは思ったものの、やはり制度を変えるってなるとそれはそれでまーた物議を醸すこと必至、とてつもない労力と時間も有するはずですし。仮にさっさと制度を変えられちゃったりしたら、そちらの方をむしろ危惧すべきだものね。

超接戦で、歓喜の画ならびに落胆、プラスそれによるお怒りの画が報道され続けています。おーっとハデにバイアスかかってんだなーと思うこともあれど、このぐらいメディアがあからさまだと、各社のスタンスもわかりやすくて取捨選択がしやすいかも!勝利でワーイワーイしたところで、自分たちとほぼ同じぐらいの数(!)、反対意見を持つひとたちが実際いる…という厳然たる事実が突きつけられています。ひとまず結果で沸くとそこを忘れがちですが、選ばれた側の真価が試されるのはこれからなのではないでしょうか、ね。

…この手のニュースを目にするたびにしみじみ思うのが、世の中は多面体で成り立っているということと、問題の大小はさておき、基本・他人と違って当たり前ということといかに折り合いをつけつつ、自分の思うところは持ちつつもニュートラルな心を保っていくかということ。特に後者はわかりやすいパッと見、ルックスだけならば似たような雰囲気でも、考えていることは真逆っていう場合も往々にしてあるわけです。

政治の話題では必ずしもなく、むしろ、ゆーたら超絶くっだらない小さなことなのですね。

とっても卑近な例でたとえてみれば、株や外貨などなど、相場とキャッシュがからむ事柄にまつわる考え方・あれこれ。いわゆる美容医療に抵抗があるのかないのか(うっ、自らの問題と興味がここにも露呈…)。各趣味への熱量分配ぶり。SNSとの付き合い方。対人関係におけるスタンスの取り方。日々の生活ではどこに重きを置いているのか…挙げ出すときりがありません。

何も、先週末までかぶっていたキャップが青いか赤いか…北米大陸の分断を憂う…なーんて御大層なものでは全くない。”あなたはそうなんだね、わたしはこうなんだよねー”、”ふーん、そういう考え方もあるんだねぇ”、”そっかそっかー”なーんて健全なコミュニケーションが取れればいいよね!ってだけのお話なのですが、突如として何らコミュニケーションが機能しなかったり、”はあぁーっ?!(叫)”みたいにあたかも非・人であるかのようなリアクションor目線を受ける時も。かく言うわたし自身が大変不出来なもので(微笑)、都度『イィーッ!』と白目むいたり、”おーっとヤッベーヤベー”と後ずさりまくることも、なくはない。

これに加えて、自分の知りえないことを他の誰かが語る時にも、これに近いリアクションをお見受けする時が往々にしてあるのです。そ、そんなにも『知らないなー』と一言発するのに抵抗感をお持ちなのかい…?貴方は世界を全部見てきたのかね…?と、その都度のけぞる、と。

わたしが編み出した(んな奥義ではない\(^o^)/)基本的な対処法&スタンスは、公私問わず(もちろん仕事の場面においては最低限のボーダーラインはあるのですが!)その相手がわたしに接する方法をそっくりそのままお返しする、ということ。ビジネスシーンでは慇懃無礼をここぞとばかりに駆使するという高度テクも持ち併せておりますものの、通じない\(^o^)/っていうナナメ右上をいくある種の層も存在するため、対象を選ぶっちゃー選ぶワケよ…(両のこめかみに手)。

で、”申し訳ないねぇ”、”よろしくー”とか相手の機微を慮ったり、思慮的なものはいっさいゼロ・いわゆるクッション言葉も皆無、とかいう場合。不愛想?つっけんどん?全然いいんじゃない?おおいに結構結構。だからそういうひとにはこちらも同じ対処で応じるだけなので、いたってシンプル、かつノンストレス。

かつてその応対に『何?ひどい!』『コレってどういうつもり?』みたいな反応をされたひとたちは、アララ?己がしたことにたいして自覚症状があんだなー、ふーん恣意的だったのか…ってことで、人間性のあぶり出しまでできちゃったよウフ♡という一石二鳥、便利っすね。

…話はちょっとそれましたが、自分とまるっきり同じ人間はいないのです、当然ながら。ゆえに、基本違って当たり前。なので自分が知りえないことを、物事を他の角度から観ているひとたちはご存知だったり、経験談をお持ちなのだと思います。

『一般的には知らない事は素直に知らないと言うのが当たり前でしょう』『それを口にした場面で”はぁ?”なんて言ってのける方はね、そっちがどうかしてるんじゃないの?』なんて某・スーパーエグゼクティブのY田さんが先日も仰っていて、激しく同意したものです。そうそう!知らないのならば、シンプルに知っている方にお尋ねすればいいだけのお話。餅は餅屋とも言いますからね、知らないのだけどお詳しいですか、とお尋ねしてみたそのお相手こそが、まさしくエキスパート☆!という場合だってあるわけです(※実体験に基づく)。

そんな中にも話題の共通項があれば親しくもなるでしょうし、たとえ考え方が違ったってこの前提さえあればそう不快な思いは感じずにいられるもの。

とは言え理不尽な仕打ち、いわれなき目に遭った時などは全くもって!(←強調)その限りではございません(定款か!\(^o^)/)のであしからず♡といったところでしょうかね: 

lab619.hatenablog.com

北米大陸から続々と届くブレイキングニュースを流し見しつつ、ひととの関わり方をあらためて考えさせられた先週末。

願わくば、喜怒哀楽の怒と哀のポイントが似ているひととパートナーシップを…!と長年考えている者としては(これがたやすくマッチしないことに驚かされます)、怒れるものの対象が同じであれば、ひとの結びつきを強固にするのはあながち間違いではないとは思います。だとしても、どのみち同じエネルギーを費やすのならば、極力ピースフルにいけりゃあ良いのにねぇ…と、柄にもなくしみじみしたことでした。