SNSアレルギー
この21世紀に恥を忍んで告白しますと、いわゆるSNSに重篤なアレルギー反応が出ます。
何度もしつこいのですが、今回ブログを始めてみたのも、マイルドなドS紳士・yさんの強い勧めを受けて”えー?あー?はー?んーじゃあ匿名なら…”、”yさん…本当に大丈夫なんでしょうね?”と渋っっ々。
Facebookも、10年ぐらい前に流行りだした本当ハシリの時に、それこそ元BFがやってる!それならアタシもアタシもー♪みたいな感じでアカウントだけ作ってみたのです。
でも結局ただの1度も投稿せず。誰ひとりとして承認せず。
情報を取れるツールとしてはすごく便利だなと思ったのですけど、正直わたしにはそこまでして再会したくなるような過去の知人もいないし(何せ会いたい人とは会ってますし、本当に再会したい人たちは鬼籍に入られてもう会えないのですから)、ましてや個人的に世間様へ向けてUPしたくなるような事なんて何もなく。
昨今の穏やかな見た目(※当社比)とは裏腹にだいぶエキセントリックなタイプなんです。
さらに忌まわしい地雷と化したとどめに、もともと知人ではあった方とお話する機会があったのですが、その方が海外育ちという事もあってめっちゃめちゃSNS駆使しまくってる方だったんですね。
職業柄もあって華やかな場・もの・ひとが非っ常ーにお好みのご様子。時々お話すると、普段なかなか聞けない話題も豊富でとっても面白いのです。
…で。おそらくその方は誰かニューカマーと出会うとFacebookでその人のバックグラウンドをチェックしていらしたようなのです。どんな人なのかな、趣味はどんな感じで、どこかにつながりがあって、誰か共通の知り合いはいるのかなって。
その気持ちはわからなくもないんですよ。自由に楽しんでやればいいじゃないすか、とわたしは思っていたのです。
しかし。
わたしの場合はその手のとっかかり皆無、じゃあ今時せめてインスタやってるだろうと問えばやっていない(だってガラケーユーザーだからね!おまけにハワイにもカメラ持ってかない・写真撮らないようなタイプだからね!)。
…そういうのがあちらも理解不能だったのでしょうけれども、それを言われた当のわたしも心底驚愕(だってんなん直接聞いたり実際の印象で知ればいいわけだし!)。
だけどそのぐらいの価値観なんか違っていたとしても、楽しくお友達付き合いする分には全然問題ないでしょー♪って暢気に明るく考えていたのです。
先方海外育ちだったので、であればなおさら、他人が自分と違っている事に対してのアレルギー反応なんて示さないだろうな、基本的に異文化・多民族の中にいて、日本とは違う教育を施されているのだから余裕っしょ!と。
ところがとんでもなかった\(^o^)/笑
なぜぼくちゃんと違うんだ!理解できない!話が通じない!常識がない!お友達になど到底なれやしない!…と、ないない尽くしのオンパレード。
プライバシー保護の観点からも多くは語りませんが…←いやいや十分語ってるだろ
正直わたしの目線から言わせてもらうと、パーティーとかそれが仕事だろうが何だろうが、行くだけ行ってその手のSNSにいろいろUPなさっていても、実際はメンタル乱気流どっかーん!体育座りインザハウス…という事実をふとした事から知ってしまい、最初こそ心配したものの、もうYOUホント脳内不自由過ぎてどうかしてるわ思春期こじらせたままかよ乙、って絶句。
孤独も哀しみもそのスマホやSNSワールドは何ら癒してくれません。他の誰でもない、みっともなくても弱った現状の自分とイヤというほど向き合うほか出口はない。
もちろん病の域に達してしまっているならば、投薬治療なりカウンセリングなり受けるのが前提ですけれど。
てかさーよっぽどわたしの方が健全じゃん!と内心高笑い(鬼)。
このSNSがらみの一件だけではないのですが、ある種の人たちは、自分と違うという事に対してものすごく強い反応を示してきます。
わたしは腹を立てたりしません。物事は多面体だと考えていて、貴方から見た景色はそうなのでしょうがこちらからはこう見えますよ、とただ単に話しているだけなのです。
自分は自分、よそさまはよそさま。なにゆえシンプルな事をわざわざ複雑にするかね。知らない世界を知ることができ、自分の言葉でそれを語り合い認めあえる友達ができるって人生の醍醐味のひとつですよ。愛すべき周りのみなさまいつもありがとうね。